#13 ひな誕生
サザナミインコ 、孵化番号 #13 の雛 です。 両親は、♂ SLG DF コバルト/イノ × ♀ クリームイノ です。
雛は過去実績で SF コバルト ~ SF モーブ等と 綺麗な子が産まれています。 ♂ の写りが悪く、小柄で ボーっとしていますが、実際は体格・カラー・見栄え・血統共に良好で、お気に入りの 種♂鳥です。
西安~名古屋へ
6日目、ハードで楽しかった旅も終り 本日は帰途へ。 朝 10時 ホテルを後にし 西安咸陽国際空港(せいあん かんよう)へ向かう。
途中で 壮大な 「漢長安城国家大遺址」を車中より見る、前漢の長安城(東西 7.6km・南北 6km)である。 武帝(劉徹)・衛子夫・衛青・霍去病 たちが 居たと思うと 熱いものが過(よ)ぎる、ここは 次回で。
☆ 1時30分 東方航空 MU291 便 A320 で 上海浦東国際空港(しゃんはいぷーとん)へ、5時20分 浦東から 同じく MU291便で名古屋中部セントレア国際空港へ 午後8時50分に無事到着する。
移動は長い様であるが、遣唐使 たちが 3ヶ月を掛けて渡っていたことを思えば、わずか 1日とは(微笑み)。
西安城壁を
5日目、本日は 念願であった 西安城壁を歩いて一周してみた。 周囲 14km(13912m)、高さ12m、底の幅18m、頂部の広さ15mあり、 厚さが高さより大きい堅固な城壁(明代)である。
幸か不幸か ご覧の様な 好天気は 歩くには ハードであり、景観を堪能しながらは なんと 5時間を要してしまったが、長安の都 を 自分の足で体感でき 、とても充実したひと時であった。
南門より登り、反対の北門近くには 西安駅があり、「 関口知宏の中国鉄道大紀行 〜最長片道ルート36000kmをゆく」 で目にした懐かしい駅舎に感動する。
天水へ
4日目、本日も高速鉄道で今度は西に向かい、世界遺産 麦積山石窟(ばくせきさんせっくつ)へ。 甘粛省天水市(てんすい)の南東 45kmにある石窟寺院。
秦嶺山脈(しんれい)の西端にあり、北魏,西魏,北周,隋,唐,宋,明 代に続営された石窟。
先の 3大石窟に、この 麦積山石窟を入れて、中国4大石窟とも言われる。 (画像クリック → 拡大で)
乾陵 茂陵へ
3日目、唐の陵墓 昭陵(陝西省西安市)及び 乾陵(陝西省乾県) ~ 漢の陵墓 茂陵(陝西省興平市)へ行く。
☆ 最初は 唐王朝第2代皇帝 李世民(イ センミン)の陵墓 昭陵(しょうりょう)へ。
☆ 唐の時代に君臨した、中国史における 唯一の女帝 「 則天武后(そくてんぶこう)武則天 」 、 3代皇帝の高宗(李治)と共に眠る 乾陵(けんりょう)へ。
☆ 漢の時代、最盛期を築いた 7代皇帝の 武帝(ぶてい)、 賢后 「衛子夫(えいしふ)の弟 大将軍 衛青(えいせい)、その甥の 若き将軍 霍去病(かくきょへい)たちが眠る 茂陵(もりょう)へ。
茂陵のフォトは下2段、黄金の馬は武帝の姉で衛青の妻である 平陽公主(へいようこうしゅ)の墓から出土、
右フォトは、左から 武帝(劉徹)・衛青・霍去病 である(茂陵博物館)。
龍門石窟
2日目、世界遺産 龍門石窟(りゅうもんせっくつ)へ行く。 地下鉄で 西安北駅へ向かい、高速鉄道 で 河南省洛陽(らくよう)へ。 北魏の孝文帝が山西省の大同から洛陽に遷都した494年に掘削が始められ、400年以上をかけて完成した。甘粛省の敦煌莫高窟、山西省の雲岡石窟とともに、中国三大石窟である。 自身 これで 3石窟の制覇である。 二段目右フォトの盧舎那仏(るしゃなぶつ)は 唐の女帝 武則天の容貌を写したものと言う説がある。 帰りも 高速鉄道で西安北に、時速 304kmは速い。 本日の悔やみ、北魏の第6代皇帝孝文帝の陵墓と 三国志の始まり 董卓仲頴(とうたく)が火を放った 後漢 宮殿の跡地へ行けなかったことである。
西安へ
本日から 久々に 中国 陝西省西安(せんせいしょうせいあん)へ行く。 朝10:10 掛川から 直行バスで、名古屋中部国際セントレアへ。 16:30 中国東方航空 MU720便 A320 で上海浦東国際空港へ、さらに 21:50 東方航空 MU522便 A321 で 西安へ。 ~ 4/29 1.09 西安咸陽国際空港に 無事到着。 夜景は 西安市上空。
識別リングを
サザナミインコ 、ひな達は 育っています。 明日から不在の為、未だ小さいのですが 取敢えず 3羽に リングを装着しました。 抜け落ちる確率は高いのですが、致し方ありません(笑み)。 ここから 雛の成長は ぐーんと 早いので、 残りのヒナ達も含め 装着ができるか心配です。








































































